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◇中間子論、大阪で生まれた--豊中の阪大総合学術博物館
 日本人でノーベル賞を初受賞した湯川秀樹博士(1907~81)と、2番目の受賞者、朝永(ともなが)振一郎博士(06~79)の業績や人物像をたどる「素粒子の世界を拓(ひら)く 湯川秀樹・朝永振一郎展」が、大阪大豊中キャンパス(豊中市待兼山町)の阪大総合学術博物館で開かれている。同級生として物理を学んだ京都大のイメージの強い2人。しかし、湯川博士が受賞した中間子論の研究成果を上げたのは、実は大阪大(当時は大阪帝国大)講師時代だった。大阪と湯川博士の接点は、どうやって生まれたのだろうか。【野田武】
 1931年の阪大創立は、地元の産業界が原動力。長岡半太郎・初代学長は回顧録で「理工の間のねずみ色の学科に重きをおく」と記したように、学術振興を産業発展につなげようとした。そこで、理学部物理学科の主任として招いたのが、電気工学分野で業績を上げていた八木秀次・東北大教授だった。
 京大講師当時の湯川博士が研究していた量子力学は、「今では理論物理学と思われているが、当時は最先端の応用的学問だった」(江口太郎・同博物館長)。33年、湯川博士は仙台での学会の際に八木教授と出会う。阪大の活気ある様子を聞いて、応用的な自分の研究は阪大が向いていると思った。八木教授に頼み込み、すぐに阪大へ移った。
 八木教授の指導は厳しかった。同じ分野で論文発表していた朝永博士を引き合いに、なかなか成果の出ない湯川博士をしかったことも。しかしこの環境が弾みとなり、赴任後わずか1年半でノーベル賞の受賞論文をまとめた。江口館長は「当時阪大は中之島にあり、静かな京都と対照的な都会の雰囲気にも刺激されたのでしょう」と話す。
 陽子と中性子から成ると考えられた原子核に、別の新粒子が存在することを予見した湯川博士の論文。後に中間子として発見されるが、あまりにも独創的な仮説だったため、学会での反応は冷たかった。それを評価した数少ない学者の一人が、朝永博士だったというエピソードも残る。展示では、2人がやり取りした手紙も公開され、ライバルかつ無二の親友だったことがうかがえる。
 31日まで、午前10時~午後4時半。無料。日曜休館。同博物館(06・6850・6715)。


【毎日新聞より】

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